無視できない虫の話607

人が食う虫


1.人と食べ物

 前回は、人を食う恐ろしい「虫」のはなしを書いたが、今回は、逆に人が「虫」を食うはなしを記そう。このことは、食文化として興味ある問題である。
 世界各地で、人びとは古くから「虫」を食材としてきた。その食材には、珍味や嗜好品として、あるいは貴重な蛋白源として食べられているものがあると同時に、吐き気を催す「いかもの食い」としかいいようのないものがある。
 「虫」の中でも、ゴキブリは人に最も嫌われる昆虫である。不潔な「虫」という先入観もあるが、見た感じが嫌がられる最大の原因であろう。あるアメリカ人の軍人が捕虜となり、食べ物が与えられないので、これでは餓死すると思い、そこら辺にいるゴキブリを食べて生き延びたという話を読んだことがある。これは飢餓の危機の場合であって、食文化とは関係がない。また、イギリスの船員は船の中でゴキブリを捕らえ、スープにしたり、生で食べていたりしていた話がある1)。この例は、ゴキブリは日常食べられているのではなく、好奇心から始まったのだろうか。
 好奇心からの試食は、まれにグルメになる可能性がまったくないわけではないが、このように「いかもの食い」になることが多い。多くの人は「いかもの食い」といわれる料理や、食べたことがない奇妙な料理を目の前にすると、視覚や嗅覚の情報が脳に到達し、嫌だと思う情報の伝達は延髄の嘔吐中枢を刺激し、嘔吐を起こさせる。しかし、料理を見て、食べてみたいとか吐き気がするなどの感覚は、個人の幼小時からの食習慣や、その地域の食文化によるところがきわめて大である。ある人にとって嘔吐を催すものでも、他の人には結構グルメであったりする。もし、エビやカニの姿のままの料理を見せられると、われわれは食欲を感じるが、全くこれらの動物を見たことがない人がいるならば、その人は嘔吐を起こすことが十分考えられる。かつて英国のチャールズ皇太子が、世界を旅してどうしても食べられなかったものが、「羊の目玉」と「日本のイカの生け作り」であったという記事を新聞で読んだことがある。われわれにとっては、「羊の目玉」は別として、「イカの生け作り」は最高のおいしい料理であることは、今さらいうまでもない。
 また、食物に虫が混入した場合がわからずに食べてしまうことがある。ときどき食品の中に「虫」が入っていたと問題になることがある。

2.食料になる「虫」

 わが国では、記録によると江戸時代からイナゴ、スズメバチ類の幼虫が食べられていたらしい。これらの食材は、食糧難のためばかりでなく、好んで食べられたのは明らかである。イナゴは、第二次世界大戦の頃には、田んぼの道を歩くと無数の個体に出合えた。わが国には数種類のイナゴがいるが、主な種類はコバネイナゴ(Oxya yezoensis)であるという2)。イナゴは、採集もきわめて容易であったこともあって、煎ったり甘露煮や佃煮にしたりして、盛んに食べられた。特に、東北地方や中部地方で多く食用にされてきた。今でも店頭に売られている。イナゴを食べるのは、日本ばかりではないらしい。イナゴ類とその親類筋のバッタ類は、世界的に食用昆虫の花形といえるという。
 イナゴとバッタは同じ種類と思われたり、混同されたりするが、異なる種類である。イナゴには、大群となって移動する性質はない。大発生して大群で移動して、すべての植物を食い尽くすのは、トノサマバッタか、近縁のサバクトビバッタである。したがって、イナゴに漢字の「蝗」を当てるのは、間違いということになる。「蝗」という字は、「飛蝗」という言葉からもバッタを指すものである。バッタの大量襲来は、聖書の『出エジプト記』に出てくる。また、パール・バックの「大地』にも描写されているので、よく知られている。わが国では1880~1884年頃(明治13~17)、北海道の南半分の農作物を全滅させたとの記録があり、また、トノサマバッタが1888年(明治21)、1898年(明治31)に千葉県の草原に大発生したという記録が残されている。
 バッタの集団は、普段おとなしく、体の色は緑色で、孤独相といわれる生活をしている。しかし、干ばつで食べ物が減ると、餌を求めて幼虫が集まり、体から出る物質で相手の体を刺激して体は黒くなり、凶暴な群生相のバッタに変身し、群をなして飛行するようになる。そして、着地した場所では、あらゆる植物を食い尽くす。
 最近、バッタの変身に関する化学物質や、その作用機序に関する研究も盛んに行われているが、いまだ大群の飛行を制止するまでには至っていないという。バッタも、イナゴと同じく食用になる。ある話によると、アフリカの恒常的に飢餓の地域では、食材としてのバッタの飛来を、むしろ歓迎して待っているともいわれている。
 ハチの子は、イナゴやバッタ類と同じく食用昆虫として広く知られている。ハチの中のスズメバチ食は、古代中国周の帝王食であったという2)。わが国でも、スズメバチの類、特にクロスズメバチ(図1)は、よく食べられている。このハチのサナギや幼虫を大和煮や甘露煮、その他の料理にして食べる。これらのサナギや幼虫は巣から得るのであるが、土中の巣を探すのに独特の技術があるという2)。クロスズメバチのほか、オオスズメバチ、ミッバチのサナギなども食用とされる。ハチの子を食べる習慣は、わが国だけでなく、中国や東南アジアに広くみられる。
 イナゴやバッタ、ハチ類のほかに、食用にされる「虫」は、ゲンゴロウ、ガムシ、タガメ(図2)などの水棲昆虫、カミキリムシ、カイコなどの蛾の幼虫、セミ、アリなど多種にわたる。

3.「虫」食の経験

 第二次世界大戦の最中、私が国民学校(小学校)生であった時、担任教師が陸エビだといってイナゴの食用を盛んに勧めた。あまりに勧めるので、イナゴを捕まえてきてフライパンで煎ってもらった。見た目ではグロテスクで食欲をそそるものではなく、恐る恐るひとつまみだけ口に入れた。なるほど、ちょっとエビに似た味がした。しかし、それ以上は食べなかった。
 貴重な経験をしたのは、1983年夏、タイを訪問した時であった。ある日、北部地方の某病院を訪ねた折、仕事は終わったが同僚がいまだ病院のスタッフと話し込んでいたので、病院の門前の大衆食堂に入って同僚を待つことにした。先客の男が一人いて、酒を飲みながら何か食べていた。聞くとタガメだという。タガメは、長さ数センチの平たい大型の水棲昆虫で、かつては日本全国の水田に普通にみられた。現在では、わが国ではまずみられない。この男が食べていたのは、その分布からタガメの近縁種タイワンタガメであろう。私がいろいろと尋ねると、「まあ、食べてみてくれ」と言って従業員が2皿持ってきてくれた。1皿は酢漬け、他の1皿は油漬けという。私はほんの少し、酢漬けの方に箸をつけた。口に入れるとうまい。ちょうど海のシャコの味とそっくりである。油漬けも食べてみた。これもうまい。その後、タイの市場に行った時、生きたタガメがたくさん売られているのを見た。そこで初めて、タガメはタイ国では非常に賞味される食べ物であることを知ったのである

参考文献
1)錫谷徹:『法医診断学』第2版(南江堂、1985)
2)宮崎一郎・藤幸吉:『図説人畜寄生虫病』(九州大学出版会、1988)
 (原著論文は省略した)


図1:クロスズメバチ
出典:『スズメバチを食べる―昆虫食文化を訪ねて』
(松浦誠:北海道大学図書刊行会、2002)



図2:タガメ
出典:『原色日本昆虫図鑑』(下)(保育社、1983)