無視できない虫の話614

土からの恐怖


1.土の中の病原体

 人は土を耕し、植物を植えて収穫する。土がなければ植物は育たないので、人や動物は生きられない。しかし、土の中には人や動物の生命を奪うこともある細菌や寄生虫が存在する。これらの病原体は、傷口、健常な皮膚、口から人や動物の体内に侵入する。

2.傷ロ、健常な皮膚からの感染

 傷口から土を介して侵入して発病する最も恐ろしい病気は、破傷風とガス壊疽であろう。破傷風は、Hippocrates(B.C.459~377)の時代にすでに記載があるが、病原菌が発見されたのは19世紀末である。1884年、Nicolaierは土壌をマウスに注射して破傷風様症状を起こさせ、注射部位に菌を認めたが、培養には成功しなかった。1889年、北里柴三郎は患者から菌を分離して、動物への感染に成功して菌の病原性を確立した。
 破傷風の病原体(図1)は破傷風菌(Clostridium tetani)で、土壌中に広く分布している。破傷風は、傷口から土などとともに、体内に破傷風菌が侵入して起こる。したがって、土が入り込んだ深い傷は、破傷風感染の危険が大きい。日本では、ジフテリア、百日咳、破傷風の3種混合ワクチンと、ジフテリアと破傷風の2種混合ワクチンの定期的接種が実施され、患者数は激減している。破傷風の潜伏期は3日~3週間で、平均4~7日頃から口を開けにくいなどの症状が現れる。やがて、全身の硬直感が出てくるが、この時点で治療が遅れたら、全身を弓なりに痙攣を起こし、約4割が死亡する。痙攣は、光、音など、わずかの刺激で誘発される。患者は最後まで意識があるので、その苦痛は絶大である。私が若いころ、外科教室で修錬時代、破傷風患者の主治医になれば、病棟の当直医とは別に専属の当直医となり、日夜休むことなく治療に当たらなければならなかった。
 発病した患者には、破傷風免疫ヒトグロブリンを投与する。破傷風の予防は破傷風トキソイドワクチンを使用するが、発病してからではワクチンは間に合わない。したがって、傷を受けたときの処置が非常に重要になってくる。受けた傷の泥や異物を洗い流して徹底的に除かなければならない。かつては、滅菌した生理食塩水などで傷を洗っていたが、現在では水道水が使用される。
 ガス壊疽も、土から感染する恐ろしい病気である。原因菌は破傷風と違い、一種ではない。40~80%はウエルシュ菌(Clostridium perfringens)であるが、その他の菌も知られている。病状としては、原因菌感染により皮下内にガスがたまり、激痛が起こり筋肉が壊死する。進行は急激で、ショックとなり死亡する。ガス壊疽は、平時には非常にまれな病気で、時折症例報告がある程度であるが、砲弾飛び交う戦場ではまれでない。第二次世界大戦の最中、私がまだ小学生であったころ、中国戦線での戦記を読んだことがある。当時の常として、○○が続いた伏せ字だらけの文章であったが、戦場で傷つき、ガス壊疽になった兵士が、ガスのため体がぶくぶくと膨れ上がり、死後も体が膨れ続け、棺桶の蓋を持ち上げたという記事に身震いしたことを覚えている。私は、その時にガス壊疽という病気の存在を知った。
 ガス壊疽の原因菌は酸素に非常に弱いので、高圧酸素療法が応用される。もちろん、抗生物質も使用される。予防は、破傷風の場合と同様に、泥土で汚染した傷の処置を徹底的に行うことである。
 ワイル病も、土と関係が深い病気である。病原体は、1915年、稲田、井戸により発見された。この病原体は、スピロヘータの一種、レプトスピラ(Leptospira interrogans serovar icterohaemorrhagiae)である(図2)。ワイル病以外でも、七日熱等の秋季レプトスピラ症などがある。ネズミを主とする動物がレプトスピラを保有し、これらの動物が尿中に病原体を排出する。ヒトへの感染は、菌を含む水を飲んで感染する場合と、菌が皮膚から侵入する場合がある。特に、傷口から容易に感染する。ワイル病の症状は急な発熱で、重症例では黄疸と出血傾向がみられる。重症例で治療が遅れた場合の致死率は20~30%といわれている。
 これまで、土から侵入する代表的な細菌を述べたが、「無視できない虫のはなし」を記そう。土の中の鉤虫や糞線虫が皮膚から侵入するのは、よく知られた事実である。
 Halicephalobus gingivalisは、あまり知られていないが、馬とヒトを死に至らしめる線虫である。1965年、ミネソタの馬の鼻孔の腫瘍から1線虫が発見された。この虫は、1954年土壌中から発見された線虫とよく似ていたが、新種として、Micronema deletrixと命名された。その後、相次いでこの虫による馬寄生の症例が報告された。1975年、肥料散布機に巻き込まれ、多発外傷を受けた5歳の小児が、良好な経過をたどっていたが、受傷12日目に原因不明の髄膜脳炎を起こし死亡した。脳に炎症所見とともに多数の線虫が発見され、前記のMicronema deletrixと同定された。次いで、1979年、1981年と米国から人体寄生例が報告された。両者とも髄膜脳炎で死亡している。第2例目の虫の侵入門戸は不明であったが、第3例目は仙骨部と両臀部の褥瘡からと推定されている。日本の馬からは、1985年、吉原豊彦博士らによってこの虫が発見された(図3)。その後、2例、合計3例の報告がある。世界中で馬の症例は少なくとも60例以上あり、人体寄生例は3例のみである。この線虫の学名は研究者によって検討され、現在ではHalicephalobus gingivalisが用いられている。この線虫は本来土壌中に生活しているが、偶然馬や人体の傷口から侵入し、その体内で発育し、卵を産み、増殖するきわめてめずらしい虫である。

3.土食症

 世の中に、粘土、絵の具、ペンキなど食品でないものを食べる人がいる。これらの人びとは、異食症(pica)と呼ばれる。氷は食品であるが、寒い時でも氷を多量に食べるのも、異食症の疑いがある。異食症は、精神遅滞や重度の精神病ばかりではなく、普通の子供や妊娠中の女性にも起こり得る。鉄欠乏性貧血やミネラルの不足が認められることもある。異食症の中で、土を食べることを土食症(geophagy)という。戦争中から戦後にかけて、裸同然で三味線を弾きながら歌を歌い、放浪していた男が九州地方にいたが、その男は土を食べていたという。土食症は、人間ばかりでなく、シカやカモシカなどの野生動物にもみられるという。これらの野生動物が好んで食べる土には、カルシウム、ナトリウム、リン酸などのミネラルが多く含まれているのが知られている。土の中には、鉄や他のミネラルばかりでなく、有毒物質や前記のように恐ろしい病気の病原体が含まれていることがあるので、土食症はときに危険である。その一例として、アライグマ回虫の感染がある。アライグマ回虫は、アライグマに寄生してもさしたる障害を与えないが、ウサギなどの他動物に寄生すると致死的障害を起こす。ヒトも例外ではない。死亡したか、きわめて重篤な後遺症がある人体アライグマ回虫症9例中、実に7例が異食症で、そのうち3例が土食症であった報告がある。アライグマの糞に含まれる虫卵を土と一緒に食べたものと推定される。

参考文献
高井光ほか:「ウマHalicephalobus gingivalis(H.deletrix)感染症の診断」
『馬の科学』42(5) : 321~331、2005



図1:破傷風菌の走査電子顕微鏡像 出典:『戸田新細胞学』改訂32版(吉田眞一、柳雄介編:南山堂、2002)



図2:レプトスピラの電子顕微鏡像 出典:『標準微生物学』第7版 (神谷茂:スピロヘータとらせん菌、平松啓一・山西弘一編、P.224、1999、医学書院より転載)



図3:日本の馬から発見されたHalicephalobus gingivalis吉原豊彦博士提供



図4:アライグマ回虫の卵 宮下実博士提供