学名との出会い

国民学校(小学校)4年生頃だったと思う。蝶には沢山の種類があり、それらが図鑑に掲載してあることが分かりかけた頃、図鑑の各蝶の名前と共に、変な文字が並んでいるのを知った。父に尋ねると、これは外国の文字だと云う。

今でこそ、小学校の時にアルファベットを習うが、私の時代では、旧制中学に入って初めてアルファベットを学んだものだった。私は早速、父からアルファベットを教えてもらい、さらに日本語のローマ字も学習した。勿論、教科書などはない。

ローマ字が読み書き出来るようになると、蝶の外国語の名前の、幾つかはローマ字風に読めるようになった。しかし、読み進んでいると間もなく行き詰まってしまった。それは、c, ch, l, q, th, x, 等のローマ字にない文字やスペリングに出会ったからである。

図鑑の中には、学名を片仮名で併記してあるのもあった。例えば、Paramecium caudatum(ゾウリムシ)を、パラメキューム・カウダツムのようにである。このような、片仮名併記から、私は、caはカ、ciはキ、laはラと読むのだと知った。しかし、ch, q, th, x,は読めなかった。

私が旧制中学に入学したのは、1945(昭和20年)4月、太平洋戦争の終戦の年である。もう、その頃は、東京の大空襲が行われており、わが国は敗戦の坂を転がり落ちていた。英語の授業の最初に英語教師が、生徒に質問したのは、「なぜ、英語を勉強しなければならないか」であった。今日では考えられない質問である。当時は、英語は敵国語で、英語の授業を廃止する中学も少なくなかった。その主な答えは、「敵国の様子が分かる」であった。私は学名が読めるようになると答えたのを思いだす。

中学に入って、学名を英語読みに出来るようになったばかりでなく、学名についての基礎を学んだ。そして学名の提唱者Linnéは、Darwinともに、生涯忘れ得ぬ名前となった。学名の知識を積むにつれ、誰でも自分も学名の命名者になりたいとの夢を抱く。昆虫でも、人が未だ手を付けない特殊なグループを研究すれば、新種発見の機会はあるが、蝶の新種発見命名は今日では、絶対と云ってよい程不可能である。

大学医学部に入学すると、すぐ寄生虫学教室に出入りを許された。最初は顎口虫の研究を手伝っていたが、3年生の時、助教授からツツガムシの研究を誘われた。私に与えられたテーマは、太宰府のツツガムシの種類と季節的消長を探ることであった。同虫は野ネズミの耳殻に寄生する。私の仕事は、アカネズミを採集し、その耳殻からツツガムシを集めて標本を作り、その種類を同定することだった。この仕事を続けているうちに、とうとう私は、ツツガムシに、はまってしまった。

そうなると、新種を発見したい夢を抱くようになった。当時は、日本のツツガムシの種類は、出尽くして新種発見出来る状態ではなかった。同虫は、ネズミばかりでなく、他の哺乳動物にも寄生する。私は、これまで充分調べられていなかった哺乳動物として、コウモリを選んだ。コウモリからは、既に1種の同虫が発見されていた。私は、自ら洞穴に入ってコウモリを採集したり、他の研究者から材料を頂いたりした。

最初の間は、同虫を発見出来なかったが、ある日、初めて見るツツガムシを顕微鏡下に発見した。早速、指導の助教授、昆虫学の助手と詳細に検討して、新種であるとを確認した。この新種は、材料提供者の農学部教授に捧げて、Trombicula uchidai(和名:ウチダツツガムシ)と命名することにした。

続いて、更に別の1種を発見した。古典的ツツガムシ病を媒介する種は、Trombicula akamusi(和名:アカツツガムシ)の名で有名であった。新種は、白い色をしていたので、アカツツガムシに因んで、Trombicula alba(和名:シロツツガムシ)と命名することにした。albaはラテン語の“白い”の意味である。

助教授、昆虫学者の助手と私の3人で、2種を新種命名して、英文論文で発表した。現在は、Trombiculaの属名は、Leptotrombidiumとなっているが、学名先取権に変わりはない。考えてみれば、私のツツガムシ研究は、もう遠い昔の思い出になった。新種発見に情熱を注いだ若き日の事が、はっきりと脳裏に刻まれている。

(2014年7月8日)