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川と魚たちの未来


田中 信明(佐賀市)


 カヌーで川を下っていて気持ちのよい川というのは水がきれいで魚のたくさんいる川だ。そんな川はあまりダム建設や河川改修でいじられていない川なので風景も最高だ。下を見れば底まで見通せる澄み切った水の中を無数の魚が泳ぎ、川岸に目を移せば川面に大きく枝を延ばした川辺の木々や葦の茂みに様々な野鳥の姿を見ることができる。自然の中に遊ぶ楽しみの源はそこにあふれる様々な生命なのだ。

 そんな川には必ず流域の人々の暮らしが深く結び付いている。漁で生計を立てる川漁師、楽しみで川漁をする人、釣り人、川で泳ぐ子供たち。人影のない川にも、川岸に繋がれた舟や仕掛けられたつけ針にそんな流域の人々の川とのつながりをかいま見ることができる。そこに住む人々が川に愛着をもっている川ではゴミもあまり見ることがない。

 しかし、もうそんな川はほとんど無い。淵も瀬もつぶされた平らな川底、人も他の生き物も川から遠ざけてしまうコンクリート護岸、川の流れを分断する無数の堰、そして清流を汚れた水に変えてしまうダムが川に棲む生き物たちの住処を奪い、生命の輝きを失ってしまった川に人々は愛情を失ってしまった。そして、親水、環境整備と称して川の自然を破壊して造られた場所は、それまで川に親しんでいた人々を川から遠ざけ、代わりに川にはなんの愛着もない人々を呼び集めてゴミの山を築いている。これが私たちのふるさと、佐賀の川だ。

 嘉瀬川で川下りや釣りをしていて出会うお年寄りたちの話では嘉瀬川がこんな川になってしまったのはこの30年ほどの間だという。ほんの30~40年前までは今の2倍、3倍の豊かな水量を持ち、清く澄み切った水にはたくさんの魚が棲む豊かな川だったというのだ。それが今はかつては珍しくもなかった魚までが絶滅寸前に追い込まれ、釣りの対象として放流されている魚さえ増えることがないという有様になってしまった。昨年、大和町の子供たちと一緒に嘉瀬川を下ったときに、大きなニゴイが姿を見せて子供たちは歓声を上げていたが、ニゴイは汚れた川に多い魚である。「この川はこんなものじゃない。もっと素晴らしい川だったんだよ。」私は子供たちにそう言ってやりたかった。

 心配なのはその30年の間に育った世代、つまり私たち以下の世代はその素晴らしかった川の姿を知らないということだ。川の自然の素晴らしさを知らなければ死にかけた川も、「川とはこんなもの」と見過ごしてしまうだろう。そして川はただの水が流れるだけの場所になる。

 佐賀の川がたくさんの魚たちの棲む生きた川として生命を取り戻せるのか、あるいはこのまま悪い環境に適応できる魚しか棲めない川になってしまうのか、まだ川本来の姿を知っている人間がいる今がその分岐点に違いない。この本に書かれている魚たちは20年、30年後にその元気に泳ぐ姿を見ることができるのだろうか。


(たなか・のぶあき、カヌーイスト、アウトドア用品店経営)