読み物メニューへ

堀覚え書き 慣例による管理


 堀の管理は、古くからの慣例で、堀の近くの水田の持ち主に委ねられていた。東西に走る堀では、その北側に位置する田の主がそれに接する南部の堀を管理した。南北に走る堀では、その東側の田の主がその管理に当たった。管理区域を示すものは「冬堰」と呼ばれ、減水した冬の堀の水面から30センチ内外の高さの堰が設けられていた。冬堰は個人または共同で堀を干して魚を捕るために作られたものが多く、冬といえども排水が続けられるよう冬堰の中央だけは水面以下に掘り下げられていて、次の堀への移動に差し支えないようにしてあった。



 「堀覚え書き」(37、61、101、191ページ)以上4編は内田萬二・元佐賀女子短大教授の「堀」(「新郷土」連載)を参考にまとめました。



 内田萬二(うちだ・まんじ)氏

 略歴 明治42年1月18日生まれ。86歳。東京高師研究科卒。戦後は佐高教官などを経て杵島商校長で定年。佐賀女子短大教授を務めた。佐賀平野の堀(クリーク)に関する研究を続け、そこに生きる動植物から人々の生活、文化まで考察した多くの論文がある。主なものに「堀」(「新郷土」昭和28年から29年まで21回連載)、「佐賀平野の堀の生物相の変遷」、「ヌクメ」、「佐賀平野の堀と漁具と漁法」(佐賀女子短大研究紀要)など。