晴れた日には台湾が望見できるという、わが国最西端の島、与那国島。そこには世界最大の蛾といわれるヨナクニサンが棲息し、わが国ではそこだけにしかいない蝶もいる。八重山諸島のなかでも、石垣島や西表島には行ったことがあるが、与那国島にはまだ足をのばしたことがなく、一度、訪問してみたいと前から憧れていた。
ところが今回、はからずも沖縄訪問のチャンスが来た。この機会を逃がすと、与那国島採集の可能性はますますうすくなる。なんとかして、この島に渡ろうと計画した。ところが、与那国島に行くには福岡から那覇に飛び、那覇で南西航空に乗り換えて、石垣島までボーイング737で行けるが、石垣島から与那国までは、僅か19席しかないDHC-6の小型機が就航しているだけである。しかも、その座席を沖縄以外で確保することは、非常に難しい。このようなわけでかなり無理して日程を組んだ。1985年7月3日、16時40分頃、私は初めて与那国島に足跡を印した。福岡を発つ時は雨であったが、ここは焼けつくような真夏の太陽が輝いている。
タクシーで予約してあった祖納部落の民宿に着く。夕方の五時頃とはいえ、まだ、太陽が高い。旅装を解くと明日のために下見でもしておこうと、網とカメラを持ってでかける。
テンダバナと書いてある方向表示に従って少し歩くと、川があり島仲橋という名前の橋を渡る。下を見ると、大きなカニが洲から川岸の方に逃げて行く。こんな大きな陸産のカニは初めてみる。なんだろう?あとで話に聞いたところ、ヤシガニであったらしい。橋を渡って約50メートル先に、ハイビスカスの花が沢山あるのが見える。ツマベニチョウが2、3頭飛んでいる。
ツマベニチョウ、私が最もすきな蝶のひとつだ。ツマベニチョウを見ると、数々の思い出が蘇る。小学校低学年で理科の授業も始まっていなかった頃、理科室の準備室のドアが開いていたので、何気なく覗くと、真正面に置いてある蝶の標本が目に入った。今思えば、台湾の蝶の標本であったらしい。見たこともない蝶ばかりがあるなかに、なぜか、ツマベニチョウに強く魅せられた記憶がある。毎日、毎日、蝶の標本を見るために、理科室の前を行ったり来たりした。しかし、そのドアが開いている時は少なかった。
大学に入って夏休みに友人と二人で、鹿児島県大隅半島を訪れた。もちろん、その目的はツマベニチョウを採集するためであった。その頃は、今と違って、交通の便は悪く20キロメートルぐらいは歩いて行った。初めて野外で生きたツマベニチョウを見た感激は忘れられない。シロチョウのくせに、こんなに速く飛ぶとは、全く夢想だにしていなかった。その時は蝶の近くで、何回か網を振ったが、とうとう、1頭もとれなかった。その後、奄美大島で初めて本蝶を採集し、フィリピン、タイ国でも採集した。また、熱帯地方に行く度に何回かツマベニチョウに出会った。
ここ、与那国のツマベニチョウは黄色味を帯びている。すぐに近くに飛来してくるので採集しやすい。2、3頭を網に入れ、破損していないものだけ選び、他は逃がしてやる。カラスアゲハ、タテハモドキがいる。キチョウらしきものがいる。網にいれる。ふっと目の前をセセリが横切る。さっと網を振って捕獲する。小さいシジミがいる。ハマヤマトシジミだろうか。とにかく、この三種は同定が難しいので、帰ってからゆっくり検討することにする。
ふと前の方を見ると、ミスジの類がいる。ここに産するのは、リュウキュウミスジか目的のシロミスジだ。急いで走り寄ろうとすると、なんということか、後ろから2台車が来た。あっという間に逃げてしまう。大きさからシロミスジのように思われてならなかったが、確認できなかった。残念で仕方がない。明日に期待するほかはない。かなり疲れていたので、民宿に帰る。
明けて1985年7月4日、7時に起床する。空は晴れ渡り、風も無い。7時30分には出発する。祖納からタクシーでテンダバナ頂上近くまで、車の行ける所まで行く。テンダバナは、与那国景勝地のひとつである。清水が湧きでており、ここから祖納の部落が一望できる。かつてこの島を支配した、女傑サンアイイソバの記念碑もある。車を下りて大きな岩を見ながら、清水の湧く場所に通じる熱帯植物の茂った道を進む。
ツマベニチョウはシロチョウでありながら、ものすごく速く飛ぶが、ツマベニチョウよりもさらに速く飛ぶシロチョウが、ツマベニチョウに混じって何頭も飛んでいる。目指すタイワンシロチョウであろうか、網を振るがなかなか捕獲できない。
そのうち、やっと1頭を網に入れる。やっぱり、タイワンシロチョウだ。ツマベニチョウ、タイワンシロチョウの乱舞のなかにカタプシリアが来る。また、アオスジアゲハ、ナミアゲハ、ミスジの類も来る。向こうから、大きな白い蝶が来る。急いで近くに行く。オオゴマダラだ。網に入れる。少し破損している。ツマベニチョウを4、5頭網に入れて比較的破損が少ない2、3頭のみ捕獲して他は逃がしてやる。
ずいぶん長い間、そこにいたようであるが、まだ、わずか1時間ぐらいしか経っていない。ツマベニチョウ、タイワンシロチョウは多いが、撮影のチャンスはない。採集案内書にしたがって、製糖工場の前に移動することにする。テンダバナと書いてある標識の所から、舗装した広い道路を下って、昨日のハイビスカスの所にくる。やはり、ツマベニチョウが多い。
橋を渡って、炎天下を案内書を見ながら、製糖工場の方に歩いてゆく。その場所はテンダバナのちょうど下にあたる。案内書に書いてあるように、崖の上からツマベニチョウ、タイワンシロチョウが舞い下りてくる。しばらく、その付近をうろうろする。オオゴマダラが2頭もつれながら飛んでいる。道路のすぐ側に、赤い花が咲いている場所があり、そこに、ツマベニチョウが入れ換わり飛来している。すぐ近くまで接近しても逃げない。急いで、カメラを出して構える。何回かシャッターチャンスがあった。うまく撮れていることを祈る。
近くの食堂で昼食後、12時30分頃、こんどはタクシーで宇良部岳付近に行く。コンクリート道を登り、左に折れる所から歩いて登る。ミスジの類がいるので網を振る。シロミスジだ。だがかなり、破損している。メスアカムラサキが飛来する。捕獲に失敗。タテハモドキ1頭捕獲する。さらに登ると、与那国林業圃場の入口の前に来る。
圃場内には、ハイビスカスが植えてあり、ツマベニチョウやクロアゲハが飛んでいるのが見える。圃場には、立ち入り禁止と書いてあるので、そこから引き返す。川に沿って歩き続け、島仲橋の所まで来る。
かなり疲れていたが、シロミスジを採集する目的で再びテンダバナに歩いて登る。標識のある場所まできたが、蝶の状態は午前中と変わりはない。シロミスジもいない。そこで、また、昨日のハイビスカスの所に下りてきた。そこでは、あいかわらず、ツマベニチョウが多い。イシガケチョウ、アオタテハモドキを目撃する。メスアカムラサキ、ウスキチョウ(ギンモンウスキチョウ)を採集する。碑の立っているところで、シロミスジ1頭を網に入れる。破損していない新鮮な個体だ。やっと、目的を達する。
東・湊氏は、与那国島の蝶として、偶産種、迷蝶を含めて、アゲハチョウ科9種、シロチョウ科14種、マダラチョウ科8種、ジャノメチョウ科1種、タテハチョウ科15種、シジミチョウ科11種、およびセセリチョウ科10種の合計68種をあげている。今回、著者が採集または目撃して確認した種類は、アゲハチョウ科6種、シロチョウ科5種、マダラチョウ科3種、タテハチョウ科7種、シジミチョウ科1種、およびセセリチョウ科1種の計23種であった。
終わりに、今回の採集地についてご教示いただいた白水隆博士に感謝する。
引用文献
1.小路嘉明:沖縄・八重山蝶採集ガイド、蝶研出版、1985.
2.東清二、湊和雄:琉球の蝶、新星図書出版、1983.
(北九州の昆蟲 第32巻・第2号より 1985年7月発行)