戦後の日本人にとって、ハワイは憧れの的であった。岡春夫の“憧れのハワイ航路”や、米国の歌、“アロハ・オェ”、“さんご礁のかなたに”などを聞くにつけ、この太平洋の楽園への夢をかきたてられたものである。しかし、現実はきびしく、戦後20年たっても、未だ日本人には海外渡航は容易に許可されない状態であった。
1964年になって幸なことに、ハワイ大学から私に留学の招待状が来た。その頃、私は肺吸虫(肺ジストマ)が脳を侵す脳肺吸虫症の研究をしていたので、他の寄生虫による脳疾患にも興味をもっていた。そこに登場したのが、南太平洋の寄生虫によって起こる髄膜脳炎であった。その疾患について、ハワイの研究者と手紙のやりとりが実を結んだわけである。
私は妻と未だ1歳にならない長女をつれて、羽田空港から旅立った。私達が乗ったのが、この航空路に就航した最初のジェット機であった。乗客は少なく殆どがアメリカ人であった。ホノルルに到着すると、まず、その爽やかな気候に感激した。熱帯であるのに、涼しい風が吹いていて汗が出ない。空港には、ハワイ大学の研究室の教授秘書と、テクニシャンが迎えにきてくれて私達にレイを掛けてくれた。
ホノルルで最初に出会った蝶は、オオカバマダラであった。市内のどこに行っても、庭の花に、この蝶がゆうゆうと飛んでいる。オオカバマダラは米大陸では、北米から南米まで分布し、太平洋地域では、ハワイからオーストラリアまでも分布する蝶である。この蝶は明らかに大西洋を渡って英国に達し、ヨーロッパの迷蝶としても知られている。わが国では、東京都、小笠原島、奄美大島、沖縄島、石垣島などから迷蝶として採集されている。
また、かつては台湾に分布していた。食餌植物はガガイモ科のトウワタ(milkweeds)である。トウワタには毒があり、それを食べて成長したオオカバマダラも、体内に毒をもっており鳥から捕食されるのを防ぐことが実験的に証明されている。この蝶は米国の北部から、はるばる大陸を横断してメキシコの特定の場所で、集団で越冬することで有名である。私は米国訪問の度に、この蝶に出会う。実に、オオカバマダラは米国の蝶といえる。ホノルルでは年中この蝶を見たように思う。
ハワイの蝶相は貧弱である。モンシロチョウは、どこでも見られる。これらの貧弱な蝶相の中でハワイの特産種が2種ある。それは、カメハメハと呼ばれるアカタテハに近い種類と、シジミチョウ科のブラックバーンズ・ブルーイット(ハワイアン・ブルー)である。カメハメハとは、ハワイのカメハメハ大王に因んだ名である。オワフ島では、やはり珍しい蝶である。私は現地の人に案内してもらって、山の中でやっと1頭目撃して採集することが出来た。それ以外は目撃していない。
ブラックバーンズ・ブルーイットは、ある日、ホノルル郊外の山にドライブに行った時、多分タンタルス峠という名であったと思うが、そこで多数の個体を目撃採集した。本種は小さいシジミチョウで、裏面の上下羽が一面に緑色の非常に美しい蝶である。この蝶は、タッパンルリシジミにもっとも近い系統であるという。これらの2種は今でも私の標本箱に納まっている。
私はハワイといえば、まず、この2種の蝶を思い浮かべる。今はどうなっているであろうかと気にしていたとき、写真家の青山潤三氏が、両種の生態写真を発表された。同氏は、カメハメハの成虫のみでなく、卵、幼虫、蝸も撮影されている。これらの2種1)が健在であることが分かって、ほっとしている私である。
1)青山潤三:渡来経路の謎秘めて、ハワイ固有の2種のチョウ―カメハメハバタフライとハワイアンブルー。科学朝日、12:9-11、1994