“人は、「虫」に食い尽くされることがある”という話をすると、“人間様がたかが「虫けら」なんかに食べ尽くされるなんて、そんなことがあるものか”と言う人があるかもしれない。しかし、これは文字通り、“人を食った話”である。
人や動物が死亡すると、死体は死後変化をたどってゆく。死体が山野に放置されると、ハエの活動する季節の昼間では、遅くとも30分以内に死体にハエが集まるという。しかし、雨の日はハエはほとんど集まらない。主なハエは、キンバエ属である。死体が新鮮な時より、多少腐敗が進行したときの方がハエは多く集まる。ハエは、人の死体では、眼裂、鼻口、肛門などの粘膜に近い部分や傷口に産卵する。卵は、10~24時間で艀化して幼虫(蛆虫)になる。艀化した蛆虫は、消化酵素を分泌し、死体組織を化学的に分解し、それを食べる。こうして、死体は驚くほど早く食われてしまう。成人死体が10日間で骨ばかりになった例もあるという1)。
その他の死体に集まる「虫」としては、トビケラ、ハサミムシ、シデムシ、ゴキブリ、アリなどが知られている。これらの「虫」は、死体を蚕食するが、蛆虫のように死体を崩壊してしまうようなことはない。シデムシ(図1)は、死出虫と書くのだろう。わが国から30数種が知られている。多くの種類は、腐敗動物質に集まる性質がある。私は、昆虫少年の時に直径10cm程度の広口の瓶の中に、腐りかけた動物の肉片を入れて、瓶の口を地面すれすれに埋めておくと、翌朝、瓶の中に数匹のシデムシが入っていたのを採集した思い出がある。
水中にある死体は、エビ、カニ、魚類によって食われることはよく知られていた。法医学者の錫谷 徹博士らは、スナホリムシモドキ(ニセスナホリムシ)Cirolana harfordi japonica Thielemann(図2)というスナホリムシ科に属する海産の節足動物が、一夜で成人の海中死体を骨化することを南紀の海岸で発見した。○○モドキというのは、○○に似て非なるものという意味で、スナホリムシに似て異なるものの意である。ただ、スナホリムシ科(Cirolanidae)という科はあるが、スナホリムシという和名がある種はないようである。
スナホリムシモドキの体の色は、灰白色から灰褐色。沿岸の岩礁の石の下に多く、時に群生する。昼間は水底の石の下に潜み、夜間は水中を泳ぎ、無数に死体に集まり、食べる。日本各地から、韓国マレーシアにかけて分布する。同博士らは、52歳の女性の入水自殺死体が十数時間で顔面・手が完全に骨化した例を報告している1)。とにかく、短時間に死体を食い尽くす恐ろしい「虫」である。
本種とよく似た種に、ホヤスナホリムシ(C.avida Nunomura)という種がいる。本種は、魚網にかかった魚などを食害するので知られている。また、ヒメスナホリムシ(Excirolama chiltoni Richardson)というヒメスナホリムシ属の「虫」がいる。ヒメ○○というのは、○○に似ているが、より小さい、より可憐、より色彩が豊かなどの種に付けられる和名である。アカタテハに対するヒメアカタテハ、モンシロチョウなどに対するヒメシロチョウ、ハブに対するヒメハブなど、動物図鑑を開けば数多くヒメの名が付く動物があることがわかる。ヒメスナホリムシは、細かい砂の海岸の波打ち際にいる体長10mm程度の白っぽい「虫」である。波が打ち寄せてくる時、砂の中から出てきて海水浴客のお尻を噛み、波が引く前に砂の中に潜り込むエッチな虫として知られている。
人の死体を食う「虫」も驚きであるが、さらに生きている人を食う虫がいる。
1904年(明治37)の春、東京在住の33歳女性が、鼠径ヘルニアの治療のために、近藤次繁教授が主催する東京大学外科を訪れた。左鼠径ヘルニアの部に一種の寄生虫が認められた。この女性の体の全身に腫れ物ができており、その腫れ物の中に「虫」が入っていた。これらの腫れ物には、2年前初めて気づいたという。左大腿部の切開によって生きている寄生虫が得られた。この「虫」は、東京大学動物学教室 飯島 魁教授によって詳しく調べられ、新種であることが判明し、新種として、Plerocercoides proliferと命名された。この発見された「虫」は幼虫であった。親虫が未知の幼虫でも新種の命名はできる規則になっている。
同様の寄生虫による感染の2例目は、48歳の米国フロリダの漁師であった。この症例は、米国の寄生虫学者スタイルスによって1908年報告された。彼は、学名をSparganum proliferumと改めるように提案した。以後、この学名が用いられるようになった。なお、和名は「芽殖孤虫」(図3)
第3例目は、36歳男子で、東京大学青山外科の症例である。この症例は、最初の解剖例となった。第4、5例目の症例は、京都大学から報告された。5例目の症例は、解剖例として第2例目となった。第6例目は、九州天草の24歳女性である。この女性は、生来健康で、医療を受けたことがなかった。1915年9月15日、18歳の時、悪寒、戦慄、強度の頭痛をきたした。3日後、左大腿部に、痛みがある限局した瘤に気付いた。それ以後、左大腿部は、びまん性に腫れてきた。20歳の時には、次々に瘤が出現して、ちょっと引っ掻くと瘤は破れて、膿、血液に混じって生きている糸状の「虫」がたくさん出てきた。
このようなわけで、彼女は九州大学外科に入院した。入院後は、下腹部と大腿部の肥厚した皮膚を取り除く形成手術が数回行われた。手術時には、生きている条虫の幼虫が確認された。彼女の病状は回復せず、体温上昇し、嘔吐も起こり肺炎症状が出現し死亡した。死後、解剖が行われ、田代規矩雄により報告された。解剖所見では、顔面、頭部を除く全身の皮下組織(図4)、胸腹腔内臓器、頭蓋内にも「虫」が見られた。要するに、全身「虫」だらけであったわけである。「虫」は、「芽殖孤虫」と診断された。
「芽殖孤虫」は、大きさも形も変異に富んでいるのが特徴で、長さは1mm~10cmを超えるものまである2)。芽を出して、人の体の中で薄い袋に包まれて、どんどん増殖してゆく。歯があって人体を噛みちぎるわけではないが、人体組織から養分を取っているので、結果として人を食って生きていることになる。そして、人は全身「虫」だらけになって死亡してしまう。
この「虫」は、条虫の幼虫であることは確かであるが、親虫は全く判明していない。「芽殖孤虫」はウイルス感染などによる「マンソン孤虫」の異常型ではないか、などの説があるが、確証はなく憶測に過ぎない。発育史も不明である。上記の「芽殖孤虫症」の症例からは、発育史の解明の手掛かりは何も得られていない。「芽殖孤虫症」は過去の疾患だと思われていたが、1990年に東京から1例報告されたのは驚きである。現在までに、日本6例、台湾3例、パラグアイ1例、ベネズエラ1例、米国1例、計12例の報告がある。「芽殖孤虫症」は、このようにきわめてまれな疾患であるが、その病原体は、人の体の中で増殖し人を死亡させてしまう恐ろしい「虫」である。
参考文献
1)錫谷徹=『法医診断学』第2版(南江堂、1985)
2)宮崎一郎・藤幸吉:『図説人畜寄生虫病』(九州大学出版会、1988)
(原著論文は省略した)