暮らしとともに変貌

戦後の高度成長期以前までの堀は近くに住む農家の暮らしと密接に結びついていた。まず水は、農業用水のほか、洗濯、風呂など各家庭の生活用水として使われていた。井戸、水道が普及していない頃は洗面、飲料水にまで利用されていた。古い家には周囲に堀がめぐらされており、堀にたまる泥土は、農閑期の初春に水田にくみ上げて、天然肥料とした。

また堀端にはヤナギの木が植えてあった。これは佐賀平野には燃料用の木材がないため、かまどや風呂たきに用いられた。主燃料にはワラが用いられたが、ヤナギの枝は伸びると切り落とされ、保存して貴重な燃料となった。化学肥料の普及で堀の手入れは行われなくなり、ヌクメも埋もれてしまった。プロパンガスは燃料としてのヤナギの役目を奪ってしまい、農家は水田が日陰になるためヤナギを伐採していった。

さらに農業用水路だけの機能を重視したクリーク改修などが人々の生活と堀の関係断絶に拍車をかけたことは否めないだろう。ヒシの実採りやレンコン掘りがすたれ、ヨシ、マコモの植物、ヨシキリ、カイツブリなどの野鳥も見かけなくなった。(談・内田萬二氏)