無視できない虫の話610

アンデスの彼方に


1.野口英世

 4、5年前であったと思う。20人程度の20歳前後の男女に、「野口英世(図1)を知っているか」と聞いたことがある。「知らない」と答えた人が大部分であった。中には「名前を聞いたことがある」と答えた人もあったが、どのような人かわかっている人は、一人もなかった。これを知って、明治は遠くなりにけりと思ったものである。
 ところが、塩川財務大臣が1,000円札に野口英世を登場させてから、彼の名前は急速に知られるようになった。まさに、「野口英世」の復権である。
 野口英世―日本の雪深い地方の貧農の家に生まれ、左手に火傷を負い、身障者であることにもめげず、独学で超人的に努力して米国に渡り、幾多の困難を克服し、ついに世界的な科学者となる。研究に没頭し、数々の細菌学上の大発見をして、アフリカの地で研究の犠牲となって、入類のために死んだ日本人の医者。これが戦前の野口英世像であった。過酷な戦争の時でさえ、彼の生涯はその時代の華である軍人の生涯にひけをとらなかった。彼の生涯は、わが国が近代国家に発展途上の時代の理想像であった。われわれの年代の日本の医者で、少年時代に彼の影響を受けなかった者はないといっても過言ではないであろう。いや、医者のみならず日本の少年の理想像であった。塩川財務大臣も、幼き頃深く影響を受けたであろうから、紙幣に登場させたのであろう。実をいうと、私も野口英世に強く影響を受けた一人である。今でも感染症に魅力を感じるのはそのせいと思う。彼の生涯は、日本語だけでなく英語やスペイン語でも書かれ、わが国には、伝記が数百もあるという。彼は日本人のみでなく、アメリカ人の心も揺さぶった数少ない日本人の一人でもある1)
 一方、彼は修身の本の見本のような立派な人物ではなく、たかり屋で、自己管理のできない放蕩家であったとされ、学問的業績をも否定した書もみられる。私は戦前の少年時代に受けた教育のため、ずっと彼を偶像視していた。学生時代の細菌学の時間だった。当時、わが国細菌学の最高権威の一人であったT教授が、「野口英世が梅毒病原体の純粋培養に成功したと思ったら大間違いだ」と言われたのを聞いたときのショックは今も覚えている。彼はいくつかの細菌学上の発見のミスを犯したが、不滅の業績をあげたのは確かである。その一つが、第4期梅毒の中枢神経に梅毒トレポネーマを発見したことである。これは、超人的な努力家の彼にして初めて出来た研究である。この研究は、今日でさえ、これだけでノーベル賞受賞に値するといわれている。実際、彼はノーベル賞受賞の候補になっている2)。しかし、振り返ってみると当時の日本は、大国ロシアと戦ったとはいえ、世界にほとんど知られていない東洋の小国である。優れた研究者であっても、母国がこのような状態であれば、候補者として選考に大きなハンディキャップになったであろうと思われる。

2.オロヤ熱の研究

 彼のあまり知られていない他の優れた業績に、オロヤ熱の研究がある。オロヤ熱(Oroya fever)は、アンデス山脈の彼方、ペルー、エクアドル、コロンビアの500~3,000mの高地の山間部に存在する風土病である。臨床的には、急激な発熱と貧血を特徴とする。症状としては、突然の発熱、脱力、顔面蒼白、筋肉・関節痛、強度の頭痛を伴い、しばしば意識障害を起こす。治療しなければ、致死率50%を超えるといわれている。病原体は、ペルーの内科医バートンが発見したバルトネラ・バチリフォミス(Bartonella bacilliformis)。最初は、この病原体はリケッチアの一種と考えられていたが、人工培地で培養出来るなどの理由から、リケッチア科から除外された。この病原体は、ヒトの血流に入り、赤血球の表面に達して、赤血球を破壊して溶血性貧血を起こす。現在Bartonella属には、ネコ引っ掻き病や錘壕熱など6種の病原体が知られている。
 オロヤ熱の発生地のみに、ペルー疣病(Verruga peruana)と呼ばれる皮膚病の発生があり、オロヤ熱回復期の患者に、この皮膚症状がよく見られるので、オロヤ熱とペルー疣病との異同が問題になっていた。そこで、この解明に乗り出した医学生が登場する。その人の名は、ダニエル・カリオン。彼は、ペルー疣病の抽出液を自分の身体に注入し、39日後、オロヤ熱を発病して、1885年10月5日に死亡してしまった。この英雄的生体実験も、記録が十分でなかったので、2種の病気が同一のものであるとの証拠にはならないと疑問が持たれていた。しかし、ペルーの医学界では、彼の英雄的行為を讃え、カリオンが死亡した10月5日を、ペルー医学の日(el Dia de la Medicina Peruana)と制定し、毎年休日にしている。また、オロヤ熱とペルー疣病を総称して、カリオン病(Enfermedad de Carion)と呼ぶことにした。カリオン病は、バルトネア症の一種である。
 1913年には、ハーバード大学熱帯医学研究室の調査隊がペルーに来て、バルトンが発見していた病原体をオロヤ熱患者の血液と組織中に発見したが、ペルー疣病の患者からは発見できなかった。それで、2つの病気は異なるものであると結論した。野口英世は研究を始めてわずか2、3ヵ月の間に、両疾患の材料から同一の細菌の純粋培養に成功して、カリオンの正しさを証明した。今日の知識では、オロヤ熱は免疫をまったく持たないヒトの急性の感染像であるが、ペルー疣病は、顕性感染あるいは不顕性感染によって、ある程度免疫を獲得したヒトにみられるものである。
 さて、ヒトはこの病気は、どのようにして感染するのであろうか。1912年に、ペルー在住の昆虫学者タウゼントが、昆虫、サシチョウバエ(Phiebotomus・図2)の刺咬によるとした。彼は、オロヤ熱の浸潤地に夜間滞在する者のみが感染すること、地理的分布と夜間にヒトを刺す昆虫という点からこの結論に達したのであった。
 しかし、この事実が昆虫学者レイモンド・シャノンによって証明されたのは、野口英世の死後であった。サシチョウバエは、スナバエ(sand fly)と呼ばれる昆虫で、体長1~4mmにすぎない。サシチョウバエ亜科の中でLutzomyia属とPhlebotomus属が医学上重要である。サシチョウバエは、カラアザールなどの世界各地のリーシュマニア症(leishmaniasis)の媒介者としてよく知られている3)。カリオン病を媒介するのは、Lutzomyia uerrucarumが主で、その他のサシチョウバエも媒介の可能性があるとされている。ヒトは唯一のカリオン病病原体の保有動物であるため、媒介昆虫が生息しない場所での患者発生は、輸血による感染を疑う必要がある。

3.終わりに

 カリオン病の研究は、野口英世の卓越した技術と、超人的な努力によって成し遂げられた世界に誇る業績である。ただ、カリオン病は世界的にみると地方の風土病であるので、彼の業績が広く知られていないのは残念である。
 しかし、私の級友によると、野口英世が黄熱研究のために滞在したエクアドルのグアヤキルの彼の研究室の玄関には、彼の業績を讃えたレリーフが飾られてあり、付近の道路には「野口通り」があり、この国では神様のように敬愛されているという4)。彼の人生で非常にうらやましく思うことがある。それは、彼にかかるストレスが計り知れないほど大きかっただろうけれども、毎日が燃えるような充実した日々であったことである。普通の人はそのような充実した日々を持てるものではない。彼は51歳という短命であったが、彼の生涯からみると、100歳以上の有意義な人生を持ったことに相当するといえないだろうか。

参考文献
1)Plesset,IR:『Noguchi and His Patrons』
 (AssociatedUniversity Presses,lnc.London,England,1980)
 (仲井久夫、枡矢好弘訳:『野口英世』星和書店、1987)
2)中山茂:『野口英世』(朝日新聞社、1989)
3)吉田幸雄:『図説人体寄生虫学』(南山堂、1977)
4)平野順造:『夏目漱石と野口英世』(燦々だより25号、2005)



図1:野口英世
提供:野口英世記念館
1,000円札のモデルになった写真
エクアドルで撮影したもの



図2:サシチョウバエの一種本種はカラアザールを媒介する。
カリオン病を媒介するのは、別の種Lutzomyia uerrucarumである。
出典:『図説人体寄生虫学』(吉田幸雄:南山堂、1977)