無視できない虫の話612

旅をする蝶


1.蝶と蛾

 蝶は「蝶よ花よ」と人びとに愛でられるが、蛾はあまり人びとの関心をひかない。「蝶と蛾はどこが違うのか」との質問をよく受ける。分類学上からみれば、蝶は蛾の一部といっても誤りではない。しかし、蝶と蛾はやはり異なる。その区別点として、① 蝶は昼活動するが、蛾は夜活動する。② 蝶は華やかな色彩をしているが、蛾は暗い地味な色彩をしている。③ 蝶は羽をたたんで止まるが、蛾は羽を開いて止まる、などといわれている。これらはおおよその傾向を示すが、例外が多く、絶対的な区別点にはならない。
 確かに、夜だけ活動して昼眠っている蝶はいないが、昼活動する蛾はいる。イカリモンガやモンシロモドキなどの蛾は、昼間に活動し、形も蝶と間違われやすい。色彩については、ジャノメチョウ科の蝶は地味な暗い色彩だし、蛾の中にも華やかな色彩のものもいる。わが国には産しないが、ニシキオオツバメガ(ウラニア)という、マダガスカル産の蛾がいる。羽は全体に緑色で、後羽に榿色と紫色の部分があり、非常に美しい(図1)。その形もアゲハチョウ科の蝶に似ており、この蛾の標本や図を見せると、多くの人がきれいな蝶だという。この蛾は、有名な文豪ヘルマン・ヘッセを感激させたもので、その蛾の魅力にとりつかれたことは、「Nach der Weihnachten,1932(クリスマスが済んで)」と題して、エッセイに書かれているという。
 きれいな蛾としては、わが国にもサツマニシキという種類がいる(図2)。この蛾は、前羽の付け根から先端までの長さが約40mm前後の大きさで、青黒色の背景色に白、薄青の斑点を散りばめ、前羽に赤色の帯がある。幼虫はヤマモガシを食べる。私は、この蛾に一度出合いたいと長らく思っていた。すると2003年7月、高知県立牧野植物園を訪問した時、目の前1mの所に1頭のサツマニシキが飛来した。私は夢中になり、手持ちのデジタルカメラで何枚も撮影した。
 蝶には、止まる時に羽を閉じて止まる種、イシガケチョウのように羽を開いて止まる種、羽を閉じたり開いたりする種がある。蛾はほとんどすべての種が羽を開いて止まるが、前記のイカリモンガは、羽を閉じて止まる。
 それでは、蝶と蛾の区別点はないのかというと、やはりある。それは触覚である。セセリチョウの類を除けば、蝶の触覚はすべて棍棒状である。これに反して、蛾の触覚は糸状のものや羽根毛状のものなどがあるが、棍棒状のものはない。
ただ、ベニモンマダラという小さい蛾の触覚は一見棍棒状であるが、よく見ると次第に先端が膨らんでいるのがわかる。セセリチョウ類の触覚は先が尖っている。触覚でほとんど区別がつくが、さらにいうならば、蛾は後羽の付け根に棘があるが、蝶にはこの棘はない。しかし、これはもうプロの領域である。

2.移動する蝶

 春から夏にかけて、家の周りに飛んでいる蝶の中で、モンシロチョウはもっとも普通にみられる蝶であろう。普通、モンシロチョウは遠くには移動しないで一生を終える。けれども、この蝶は大群となって海を越える事実が観察されている。また、イチモンジセセリも、個体が次から次へと一定方向に移動する性質が知られている。ウラナミシジミは秋によくみられるシジミチョウの一種であるが、暖地で春に成虫になった個体が、世代を繰り返しながら、北海道までも北上する。この蝶は、暖かい所では越冬出来るが、寒い所に到達した個体は死滅してしまう。
 遠距離を飛ぶ蝶としては、アサギマダラが有名である(図3)。この蝶は、山道などで遭遇するとドキッとするくらい優雅な蝶で、ゆっくり悠々と飛ぶ。しかし、一度捕まえ損なうと迅速に天空高く舞い上がってしまう。おそらく、空高く舞い上がった状態から気流に乗って、遠距離を移動するのであろう。記録によると、羽にマークして台湾で放たれた個体が、滋賀県比良山で捕獲された事実がある。この個体は、1,790kmも旅をしたことになる。

3.日本の迷蝶

 まれに、その土地に産しない蝶に遭遇することがある。これらの蝶を、「迷蝶」という。迷蝶に出合うことは、蝶愛好者(蝶屋)の大きな喜びである。私も、これまでに九州で数種の迷蝶を目撃したり、採集したりした経験がある。迷蝶のほとんどは、東南アジア、中国大陸、朝鮮半島、シベリアから飛来するが、東南アジア、特にフィリピンからのものが多い。
 これらの蝶は、自力だけで飛んでくるのではなく、風に乗って運ばれてくる。台風の後にはよく迷蝶が発見される。中にはその迷蝶がどこから飛来したか特定出来ることもある。
 これらの迷蝶の種類は多く、最近の文献 では、マダラチョウ科、ジャノメチョウ科だけでも、マダラチョウ科25種、ジャノメチョウ科7種が報告されている。迷蝶は日本で子孫を増やすことが出来る種もある。もし、冬を越すことが出来れば土着種となる可能性があるが、まず冬を越せない。冬を越えて南九州で土着種になったものに、タテハモドキ(図4)がいる。

4.遥かなる旅路

 アサギマダラや、日本で発見される迷蝶は、風に乗って流されて遠距離の旅をしてどこかに到着するが、明らかな目的地に向かって長距離を旅する蝶がいる。それは、オオカバマダラ(Monarck)(図5)というマダラチョウ科の一種である。この蝶は、北アメリカに広く分布しており、米国では至る所で普通にみることが出来る。
 この蝶は、3月下旬頃からカリフォルニアやメキシコの越冬地から、交尾をしながら北米大陸を北上し続ける。メスは、食草である南アメリカ原産のガガイモ科の植物トウワタをみつけると、それに産卵する。トウワタは強い毒を含んでおり、これを食べた家畜などは中毒して死亡することもあるという。そして、この植物を食べた幼虫は、体内に毒を持つようになり、鳥に食べられる機会が少なくなる。一度でもオオカバマダラの幼虫を食べた鳥は、毒のために苦しみ、この幼虫は食べてはいけないことを学習する。食草に卵を産みつけたオオカバマダラは、卵を産むと間もなく死んでしまう。孵化した幼虫は、発生を繰り返しながら、北へ北へと進み、カナダまで到達する。そして、夏の間カナダや米国で発生を繰り返す。
 夏にカナダや米国で発生を繰り返したオオカバマダラの羽化した個体は、夏の終わりになると、交尾することなく、南へと大移動を始める。花の蜜を吸いながら、ひたすら南を目指して飛び続ける。飛行は、あまり羽ばたきをせず、気流に乗り飛び続けるらしい。そして、ロッキー山脈西側の個体群は、カリフォルニア州の太平洋沿岸の数カ所に、東側の個体群はメキシコに次々に集まり、そこの木に止まって越冬する。蝶が止まった木は文字通り、蝶で埋め尽くされる。私は、フロリダ大学を訪問した際、オオカバマダラの研究者として知られるブローワー教授にビデオを見せてもらったが、その光景は言葉で言い表せないほど素晴らしいものであった。不思議なことに、蝶は毎年同じ木々に集まる。
 オオカバマダラの飛行距離は、カナダでマークされた蝶がメキシコで発見された事実から、3,300kmの長距離を飛行したことが明らかにされている。なぜ、この蝶がこのような長距離を飛行して、同じ木に止まって越冬するかは、未解決の大きな大自然の謎である。

参考文献
1) 白水隆:『日本の迷蝶工マダラチョウ科・ジャノメチョウ科』(蝶研出版、2005)



図1:ニシキオオツバメガ 筆者所蔵標本



図2:サツマニシキ
出典:冨佐賀の昆虫遷(No.35、2001)
2000年6月30日佐賀県三養基郡北茂安町(現・みやき町)にて、古川雅通氏撮影



図3:アサギマダラ
1995年6月2日佐賀県神崎郡三瀬村(現・佐賀布)にて、筆者撮影



図4:タテハモドキ
2001年10月12日佐賀県佐賀市鍋島町にて、筆者撮影



図5:オオカバマダラ
1969年9月29日アメリカオハイオ州グリーブランドにて、筆者採集