英国の蝶の種類は日本のそれに比べてはるかに少ない。Howarth(1973)は全英国の蝶75種をあげているが、それらの中には、絶滅した種類、迷蝶および他の国から移動してくるが土着しない種類も含まれており、土着種は53種に過ぎない
絶滅した種類としては、Aporia crataegi(Black-veined White、日本産亜種エゾシロチョウ)が広く知られている。本種は、かつてはイングランド及びウェールズに広く分布していたが、今世紀初頭に絶滅した。
迷蝶としては、1953年1頭だけ採集されたNymphalis xanthomelas(Scarce or Eastern Tortoisell、日本産亜種ヒオドシチョウ)、Everes argiades(Short-tailed Blue、日本産亜種ツバメシジミ)、ならびにDanaus plexippus(Monarch or Milkweed、オオカバマダラ)等がある。
土着種でないものとしては、Vanessa atlanta(Red Admiral、日本産近似種アカタテハ)、Vanessa cardui(Painted Lady、日本産種ヒメアカタテハ)、Colias croceus(Clouded Yellow、日本産近似種モンキチョウ)等がある。英国特産種というものはなく、ただ、亜種として、キアゲハの英国産亜種Papillio machaon britannicusがあるに過ぎない。このように、英国の蝶相は日本に比べて貧弱であり、その上、日本産との共通種も少なくない。
著者は1973年12月より、1975年1月まで、英国ケンブリッジに滞在する機会があり、ケンブリッジの蝶を一夏だけ採集した。
ロンドンからケンブリッジに行く間には、山は見えない。時々、丘が見え、麦畑が広がっている。ケンブリッジに着いても、山は全く見えない。平野が遠くに広がっている。1974年の冬は思ったほど寒くなく、雪は1日、しかも粉雪しか降らなかった。年によっては雪が積もることもあるという。北に位置するにもかかわらず、冬の寒さは、ちょうど九州の冬のようであった。ただ、夏は東北の夏より涼しい。
1974年1月1日から勤務したが、2、3月の寒い間は全く蝶の姿は見なかった。
3月末、突然暖かい日がやってきた。周囲が麦畑にかこまれた病院の3階から下を見ると、1頭のタテハがいるではないか。しかし、そこには直接下りられないので種類は確認できなかった。
4月になると寒い日が続いたかと思うと、暖かい日が2・3日続いた。ふと外を見ると、黄色い蝶がとんでいる。近寄ってみるとヤマキチョウだ。春の陽気に誘われて、越冬した個体が一時にとび出てきたらしい。近くの森(spinney)に入って行くと、植物はまだ全く冬景色で、若草は萌え出していない。そこに1頭の小型タテハが飛来した。すぐ近くで止まる。何と、コヒオドシだ。みると、あちらこちらに少なくとも数頭以上いる。急いで家に帰り、カメラを持参する。撮影成功。
5月になると、春がくるのは日本の東北地方に似ている。5月19日、うららかな春の日に自宅の庭に白い蝶が舞い込んできた。クモマツマキチョウだ。日本では少なくとも平地には産しない。日本産のものには、2つの亜種があるのを想い出したが、もちろん、どちらもいまだ野外でおめにかかったことはない。我家の庭にクモマツマキチョウが飛来するといえば、日本ではどんなにうらやましがられるだろうなどと想像する。これだけでも、英国に来た甲斐があったというものだ。1頭だけでなく、隣家の庭にもきている。
家の近くで、2、3頭採集した後、例の森に行く。もう若草の時期となっており、モンシロチョウ、エゾスジグロシロチョウ等が多く飛んでいる中に混じって、クモマツマキチョウが次から次へと飛来する。ちょうど、西洋の春の原野に乱舞する女神のようだ。ああ、この光景を日本の蝶仲間に見せてやりたい。
クモマツマキチョウはなかなか止まらず、ついに撮影は断念する。そのうち、大きなモンシロチョウが力強く飛んでいる。モンシロチョウよりは大きいばかりでなく、飛び方も力強い。ネットの中に入れる。予想した通りLarge Whiteだ。日本にはいない種類だ。オオモンシロチョウと呼ぶことに1人で決めてしまった。
向こうの高い木から、こちらの木に1頭のシジミが飛び移る。何だろう。30分に1頭ぐらいの割合で目撃したが、遂にとれなかった。その後、5月中はこのシジミを見たが、6月にはもう見られなくなった。6月上旬までは、モンシロチョウ、エゾスジグロシロチョウ、オオモンシロチョウがみられた。
7月6日
ヨーロッパ各国の訪問から帰って、何か変わった蝶がいてくれと念じつつ、急いで例の森に行く。もう、若草の時期は過ぎて、夏草の時期になっている。その繁った夏草の間を1頭のジャノメチョウ科の蝶がとんでいる。近付いてみると、日本にはいないMeadow
Brownだ。もちろん初めてみる蝶だ。あまり速く飛ぼず、採集は容易であるが、撮影は植物がじゃまして仲々近づけない。それでも、何回かシャッターチャンスに恵まれた。
7月7日
森に行く。Meadow
Brownを撮影した。7月14日の観察では、Meadow
Brownはまだいたんでなかったが、7月21日の観察では、もう新鮮なものはほとんどなかった。その日、ジャノメチョウ科の1種のRinglet
1頭採集した。
7月21日
自宅の庭で新鮮なシータテハ目撃。
7月28日
例の森で、新鮮なヤマキチョウを目撃、新鮮なコヒオドシを採集。前から疑問におもっていた例の高い木から時々下りて来るシジミをまた発見したので、網をふると捕獲に成功した。はやる心をおさえながら取り出してみると、何とこれはルリシジミ。
8月2日
また例の森に行く。モンシロチョウが相変わらず多い。ヤマキチョウの撮影成功。また、Gatekeeperを撮影し、採集した。場所を変え、公園の裏で、コヒオドシとGatekeeperを撮影。植物のトゲがささり痛い。
8月6日
森で、クジャクチョウ1頭採集した。日本に帰って、盛岡産と比較しようと思う。
8月18日
朝、自宅の庭でヤマキチョウ目撃。例の森には、モンシロチョウが相変わらず多い。Meadow
Brown数頭目撃。ルリシジミ1頭目撃。
8月20日
例の森で、今までみたこともないシジミを発見、早速撮影する。本種はCommon
Blueといい、日本には産しない。
以上で、採集日記は終わる。その後は、オックスフォード大学に国内留学し、再びケンブリッジに帰ってきたが、蝶のシーズンは終わっていた。9月上旬オックスフォード大学の庭にコヒオドシが数頭いたのは印象的であった。本種は英国では、もっとも普通のタテハと思われる。
(北九州の昆蟲 第22巻・第1号 1976年2月発行)