第二次世界大戦中、九州地方の池やクリークに長さ4、50cmの大きな魚が見られるようになった。非常に活発な魚で、ときには水から飛び出て畦の上をぴょんぴょん飛び跳ねている姿もめずらしくなかった。その形も蛇のようで、見て気持ちのよいものではなかった。土地の人は、この魚を雷魚、またはタイワンドジョウと呼んでいた。
実は、この雷魚といわれる魚には、ライヒイ(Ophicephalus tadianus)と、カムルチー(O.argus)の2種類がある(図1)。ライヒイは1897年頃台湾から輸入され、カムルチーは1923年頃中国や朝鮮を経て日本に入ってきたとされている。しかし、カムルチーは繁殖力が強く、ほぼ全国に分布を広げたが、ライヒイは関西地方にしか分布することができなかった。九州地方で見られたのはカムルチーである。
その後、異国から来た雷魚の子孫は、わが国の至るところの池やクリークに繁殖し、普通に見られる淡水魚となった。第二次世界大戦の末期から戦後にかけて、日本は食糧難に苦しんだ。そこで、雷魚はたくさん身近に住んでおり、捕まえやすく、大きい魚なので、食料として目を付けられた。通常、肉を“湯びき”にして、酢味噌を付けて食べるが、癖のない淡泊な味である。その肉は臭みもなく、“刺し身”にして食べる人も出てきた。
第二次世界大戦の終わり頃から、福岡県、佐賀県の有明海に面した地方で、皮膚に瘤が出来て、それが体のあちこちを動き回る奇病が見られるようになった。やがて、この奇病はそれまでに中国で“長江浮腫”、“北京公使館病”などと呼ばれていた原因不明の病気と同じではないかということになった。
1945年、上海で発生した一患者から虫が摘出され、わが国の研究者によってその虫がタイなどに多い有棘顎口虫(Gnathostoma spinigerum・図2)と確定されて、この奇病の原因が明らかになった。上海での奇病の原因発見により、わが国でも九州地方の奇病の追究が行われ、やはり奇病は有棘顎口虫寄生による有棘顎口虫症(gnathomiasis spinigera)であることが判明した。疫学的研究も活発に実施され、佐賀県の雷魚から有棘顎口虫第3期幼虫寄生が証明され、やがてイヌやネコが終宿主であることも判明した。そのうち、体に瘤が出来てあちこち瘤が移動する有棘顎口虫症が、雷魚を刺し身にして食べた結果であることも人びとに理解されるようになり、“雷魚の崇り”という人も出てきた。
有棘顎口虫は、ロンドンの動物園で死亡したトラの胃壁の腫瘤から、Owenが1836年に発見した。成虫には雌雄があり、雌1.5~3.3cm、雄1.2~3cmの長さである。雌雄とも体前端に特有な頭球を持っている(図3)。頭球には8~11列の棘が環状に生え、大半前半部にも皮棘がある。
有棘顎口虫は、インド、マレーシア、タイ、フィリピン、中国、日本などに分布する。特に、タイはヒト寄生の症例が多い。有棘顎口虫の終宿主は、ネコ科とイヌ科の動物で、日本ではネコとイヌである。成虫は終宿主の胃壁に大きな腫瘤を作り、その中に集まって寄生している(図4)。その腫瘤に1個の穴が開いており、腫瘤内部で生み出された卵はその穴から胃腔に出る。消化管に出た卵は糞便とともに外界に出る。これらの卵は、約1週間で幼虫が完成する。幼虫はケンミジンコ(第1中間宿主)に捕食されて、ケンミジンコの体腔に出て、さらに発育し第3前期幼虫となる。
ケンミジンコは、第2中間宿主に捕食されて、第3後期幼虫となる(一次感染)。第2中間宿主としては、ライギョ、ドジョウ、トノサマガエルなどがある。さらに、一次感染のみでなく、幼虫を宿す動物を食べて、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類などの動物が広範囲に幼虫を宿すようになる(二次感染)。
二次感染では、幼虫は第3期幼虫以上には発育出来ず、筋肉内に被嚢する。ヒトは、淡水魚、特に雷魚の生食によって感染する。幼虫は腸管壁を穿通し、肝を通過した後、全身を移動する。感染後3~4週間の潜伏期があり、その間に肝機能障害が観察される。幼虫が皮下組織を通過するときには特有の皮膚爬行症(creeping eruption)を生じる。多くは、体の表面に瘤を作り、それがあちこち移動する(皮膚顎口虫症)。ときに内臓を侵し、また眼窩内、頭蓋内に浸入することもある。虫が頭蓋内に浸入して脳の重要中枢を破壊し、ヒトを死に至らしめることもある。
私は1954年に大学医学部に入学して、すぐ学生の身で寄生虫学教室に出入りを許可された。研究室に行くと、教室員が各地から送られてきた雷魚を刺し身にしてガラス板に挟み、光を当てて検査していた。聞くと、顎口虫の幼虫寄生を検査しているという。
私は顎口虫のことを話には聞いていたが、見るのは初めてであった。そのうち検査を手伝うようになり、雷魚を3枚におろすのも上手になった。検査で、粟粒くらいの大きさの幼虫がなんと多く寄生していることだろうと驚いた。雷魚1匹に50匹以上の幼虫が見られるのもあった。そして半分以上の雷魚に幼虫が寄生していた。数10cm以上の雷魚であれば、まず幼虫が寄生していた。
私が顎口虫に関わりを持った頃から、国内で感染した顎口虫症の患者は九州ばかりでなく、本州、四国からも報告され、わが国の寄生虫病となっていった。中には、宴会で雷魚の刺し身を食べて集団感染した例もあった。1940年代までは国内の患者が増え続けたが、わが国の食糧事情は好転し、衛生教育の普及もあって、人びとは雷魚を食べなくなり、1970年代になると患者数は激減した。
1970年以降は、有棘顎口虫症の国内感染例はまずみられなくなった。ところが、1972年頃から中国からドジョウが輸入されるようになり、それらのドジョウの“躍り食い”を楽しむ人びとが出てきた。ドジョウがのどでピョンピョン跳ねる感覚がたまらないらしい。そして、これらのドジョウから剛棘顎口虫(G.hispidum)という別の種類の顎口虫症に感染した患者が出てきた。さらに、日本産ドジョウを生食して、日本に分布する日本顎口虫(G.nipponicum)に感染した患者が現れ、また、ヤマメなどの淡水魚を生食して、イノシシが終宿主のドロレス顎口虫(G.doloresi)の感染例も出てきた。
有棘顎口虫の患者はみられなくなったが、雷魚は昔ほどではないにしても、わが国の至るところに生息していて、ルアー釣りの対象になっている。ところで、雷魚の有棘顎口虫の感染はどうなっているだろうか。私は、佐賀衛生研究所と共同で、1989年佐賀県の最も感染が多かったところを主に、カムルチーを集めて、昔とった杵柄で検査した。94尾検査したが、全く有棘顎口虫の被嚢幼虫は発見出来なかった。その頃の他の報告でも、全く被嚢幼虫は発見されていない。このことから、第2中間宿主は健全だが、有棘顎口虫は絶滅してしまったらしい。
第1中間宿主のケンミジンコは、どこの池にも無数にいるし、第2中間宿主の雷魚も健在で、終宿主のネコやイヌもどこにでもいるのに、有棘顎口虫がわが国で絶滅したのはなぜだろうか。一つ考えられるのは、人の食べ残しが、どこでも豊富にあるので、終宿主のネコやイヌが雷魚を襲わなくなったのが原因ではなかろうか。終宿主が雷魚を食べないので、有棘顎口虫の発育環が切れたと推定される。もちろん、他の要因もあるかもしれない。
異国から来た雷魚は、わが国に来てよい環境を得て帰化動物としてすみ着いたが、一緒に来た寄生虫の有棘顎口虫は、わが国で子孫を増やすことが出来ず、絶滅してしまった。日本は、有棘顎口虫にとってすみやすいところではなかった。