私が住んでいる市から北を眺めると、割と高い山々が立ちはだかる。その山の彼方に、A村がある。そこに行くまでの道路は曲がりくねっているが、よく舗装されている。私の自宅から村の中心部の役場までは車で約30分で行くことができ、意外と近い。同場所は海抜約400mで、周辺には杉が多い。村の人口は約1,800人で、いわゆる過疎地である。その役場の近くに、診療所がある。
この診療所の医師が退職することになったので、1年でよいから勤務してくれないかとの話があったのが、1992年の3月であった。条件としては、週末は帰ってもよいが、ほかは隣の宿舎で宿泊してくれとのことであった。これは、救急医療を加えたプライマリー・ケアの診療体制である。このような勤務は初めてではあるが、私は、救急医学の専門家として、救急医学はプライマリー・ケアに基づくとの信念を持っていたので、その点抵抗はなかった。それに、この地では、市内に見られない山地性の蝶がたくさんいると聞いていたので、憧れの地でもあった。1年もこの地に滞在するなら、蝶について何か新知見が得られるかもしれないとの期待が膨らんできた。
4月早々、国際学会の座長と現地の医療指導のために中米に出張したので、実際に当地で診療を開始したのは4月の中旬以降であった。午前中は少し忙しかったが、夜は起こされることは少なかった。診療所の周りには、平地では見られない蝶がたくさんおり、昼の休み時間などには、これらの蝶を撮影したり、採集したりした。村人とも親しくなり、夜は卓球をしたりして過ごした。それまでとは全く違ったここの生活に満足し、田舎医者の冥利に尽きると思ったほどであった。
その悪い予感がし始めたのは、赴任した年の初夏頃だったと思う。診療所の周りには昆虫やカエルが多く、診察室の中にまでオニヤンマが入ってくることもめずらしくない。それにしても、外を飛んでいるキイロスズメバチが多いところだなあと思っていた。
キイロスズメバチは、どうも診療所に隣接している官舎の玄関近くに多いようである。よく見ると、官舎の玄関の屋根に集中している。ついに玄関の屋根の瓦の木材の問に、多くの蜂が出入りしているのを突き止めた。日が経つにつれて、蜂の数は次第に多くなり、玄関に車をつけて降りると、身近に蜂が飛来するようになった。攻撃はしてこないものの、気持ちがいいものではない。常に緊張の連続である。
8月になると、宿舎の応接室の中に蜂が入っていたことが2、3回あった。部屋を閉め切っているのに、どこから蜂が浸入したか全く不明であった。この頃になると、玄関の上にはひっきりなしに蜂が出入りするようになった。宿舎に隣接した診療所の2階から見ると、屋根元の木製の壁に穴が開いており、その穴の周囲には常に数匹の蜂がいて、その穴から多くの蜂がさかんに出入りしている。穴を出た蜂の多くは上空に飛び立っていくが、中には玄関に向かってくるのもいる。この状態が秋まで続き、蜂の数は少しも減少しない。
当地は標高約400mもあり、夏でもかなり涼しい山村である。秋深くなるとかなり寒い日があったが、天気が良い日には飛んでいる蜂の数は少しも減少していない。それどころか、家の中に1、2匹の蜂が浸入している日がしばしばあった。10月23日になって家の中の廊下に出てみると、廊下の電灯の周りにたくさんの蜂がいるではないか。温度が低いためか、蜂たちはあまり活発ではない。洗面所にも蜂がいるかもしれないと、辺りを見回して用心して洗顔し始めた。
すると、「ブーン」という音がする。その次の瞬間、「ギャー」と妻の叫ぶ声が聞こえた。ドアを開けて急いで隣の部屋に入ると、なんと妻の肩に1匹の蜂が止まっている。私は急いで、その蜂に殺虫剤をかけた。妻は蜂に刺されずに済んだ。ほっとするのも束の間、今度は妻が私の寝巻に止まっている蜂を発見した。さっき洗面所で聞いた蜂の羽音は、私の寝巻に飛んできた蜂であった。恐怖に慄きながら、そっと寝巻を脱いで、その寝巻を廊下に叩きつけた。間一髪で、幸運にも蜂に刺されずに済んだ。
こうなっては、もう一刻の猶予もない。私は家中に燻煙剤を焚いた。どうも、蜂たちは天井裏から廊下の電灯が下がっている紐の隙間から廊下や応接室に浸入してくるらしい。燻煙剤の効果はあった。何と200匹以上の蜂の死骸を廊下で回収したのだ(図1)。
しかし、10月の終わりになっても、蜂が廊下に浸入してくるので、事務員に徹底的に燻煙剤を焚いて蜂を駆除するように頼み、東北の学会に出張した。もう、蜂は駆除されているだろうと期待して帰ってくると、何と事務員は、私の依頼を忘れて蜂の駆除を実行していない。そこで、電灯の紐の隙間に直接燻煙剤が天井裏に広がるように、紙の筒を作り、その中に燻煙剤を焚いた。
しかし、効果は全くなかった。わが国で、もっとも恐ろしい動物は蜂である。年間約40人が、蜂に刺されて死亡している。こうなっては、もう、常に生命の危険にさらされているのは、明らかである。おそらく、蜂の巣は屋根裏にあると思うので、それを除去してくれるように事務員に強硬に頼んだ。事務員は、蜂の巣の除去を専門の業者に依頼すると約束してくれた。
11月6日、事務員が連れてきた養蜂業者は、60歳代の温厚な紳士であった。天井裏のキイロスズメバチの巣に接近するからには、蜂の攻撃を防ぐために、宇宙服か潜水服のようなものを着用するだろうと想像していた。ところが、驚いたことに、この業者は頭にカンテラを付け、頭と顔を保護する網を被っただけで、普通の作業服で手袋さえはめていない。腰の周りに、殺虫剤スプレーを何本か巻き付けている。蜂が近づくと、殺虫剤を噴霧して攻撃を防ぐという。
蜂の巣があると思われる場所と、天井裏への上がり口の板がある場所とはかなり離れている。業者はそこから進入したが、天井裏は梁があって進むのは大変だとの声が天井裏から聞こえてくる。事務長、看護師、私の3人は、蜂の巣があると思われる天井の下の廊下に立って固唾を飲んで成り行きを見守っている。「蜂がたくさん攻撃してくる」、「蜂の巣を発見」(図2)など、天井裏から声が聞こえてくる。まるで戦争のようだ。「蜂を退治中」という声が聞こえたかと思うと、ビニール袋を被せておいた電灯の紐の隙間から、数匹の蜂が苦し紛れに飛び出してきた。
何と、この宿舎は粗末な電灯の隙間を通して外界と直接繋がっているではないか。これは、人体の構造に例えると、わが家の部屋を脳が入っている頭蓋腔とすると、天井裏が副鼻腔となり、電灯の紐の穴が頭蓋底骨折部に相当する。そのうち、私たちの立っている上から、「蜂の80%退治」と声が掛かってきた。私たちは思わず手を叩く。10分くらいして、「蜂を全部退治した」との声が聞こえた。「やった!」と廊下にいる3人は凱歌を挙げた。間もなく、養蜂業者は天井の開き穴から降りてきた。梁が邪魔で、蜂の巣を丸ごと持ってこられないという。刃物と大きなビニール袋を持って、再び業者は天井裏に登っていった。しばらくして、彼は2袋の大きな袋を提げて降りてきた。袋には、切断された蜂の巣がぎっしり詰まっている(図3)。その直径は35cm以上もあり、数えきれないほどの幼虫が規則正しく並んだ各穴に、いっぱい詰まっている。何匹かの蜂も未だ穴の中いる。
最後に業者は、殺した蜂を箒で掃いて、ビニール袋に入れて降りてきた(図4)。彼によると、少なくとも5,000匹の蜂がいたという。私たちはこれだけ多くの殺人蜂と同居していたことになる。今思っても、身の毛がよだつ。翌日、あれほど屋根の周りに飛び回っていた蜂は、全く見られなくなった。診療所の中に入って、私は誰に言うともなく怒りをこめて眩いた。「やっと、この診療所に赴任したというのに、蜂に刺されて死んだら、どうするんだ」。それを聞いた若い事務員はにっこりとして、「なぁに先生、心配はいりません。先生には、多額の保険を掛けてあります。どうぞ、ご安心下さい」